ただならぬ気配。

ただならぬ気配を感じてるのかどうかわからないまま、生活する宏香さんの日々。

先生には負けないぞ

先週行われた北海道マラソン
男子で優勝した日清OBの高見澤勝先生(佐久長聖教)について、
現役日清勢の徳本さんからの「先生への挑戦状」がブログにありました。

実業団から市民ランナーや教員などへ転向する選手は多数いましたが、
今回の高見澤先生のように転向して記録が伸びて優勝というパターンは、
非常に珍しいパターンでありまして、
徳本くんはその展開に唖然として言葉に出来なかったよう。
小田和正か)

今週末になり、ようやくブログにアップしたということは、
相当気持ちの整理に時間がかかったのか、
それとも苫小牧合宿で放置していた順大の課題も膨大だったのか、
どちらもあったのかと思いますが。

一言「実業団の選手としては悔しい」とのこと。
実際、高見澤先生は、
日清時代そう目立った成績を残していません。
ラストの年で北海道マラソンの準優勝できたくらいで、
ニューイヤー駅伝ではずっとサポートについている状態でした。
実は2年目の時に指導者転向のために、
大学へ戻って教員資格の勉強とトレーニングをしているとの話を聞いてたんですが、
徳さんブログではそのあたりが明記されています。

まー。高見澤先生はあくまで「指導者」のスタンス。
インタビューでも今後の目標は「都大路優勝」でしたし、
日本陸連としてはガックリ、だったに違いありません。
そりゃ世界陸上よりインターハイですから。

佐久長聖高校では情報の教諭として授業も担当。
授業や駅伝チームのトレーニングなど、
さまざまなお仕事を持っている「新人教師兼コーチ」のですので、
北海道マラソンはあくまで選手に火をつけるきっかけの一つだったのかもしれません。
たまたま優勝してしまって本人もびっくりだったんですが。

そういえば、徳本くんの恩師でもあり、
進学先を沼田高校に決めたきっかけともなった三浦学先生(故人)は、
教員でありながら選手としても活躍してました。
中国駅伝には体協チームの一員として中国駅伝ラストの大会まで参加。
その三浦先生と高見澤先生が被る、というのは、
ちと言いすぎでしょうか。

ともかく、
都大路か都道府県対抗での高見澤先生に注目。


佐久長聖高校では、
高見澤先生帰校に合わせ、優勝報告会を行ったそうですが、
そこで駅伝部キャプテンの佐々木くんが、
(高見澤)先生の走りを見て大きな勇気をもらったので、
今度は自分たちが都大路で頑張る番、と高見澤先生にあいさつ。
先生の走りは選手たちに火をつけたようです。


※中国駅伝豆知識
福山市から広島市を横断する駅伝。
距離は長いが、実業団のトップや高校生、
広島の各地区体育協会が一緒になって争う、
今ではとんでもない展開の駅伝。
(もちろん、一般、高校生、体協と部門分けはされていた)
都道府県対抗男子駅伝が広島で開催されることが決まったため、発展終了。