ただならぬ気配。

ただならぬ気配を感じてるのかどうかわからないまま、生活する宏香さんの日々。

もぐらのうたをうたおう

最近マッキーのシングルには初回限定とかで、
前の曲をリミックスしたものが入ってたりして、それを先日CDにまとめて焼いた。

その中で、マッキーのツアーでおなじみのギタリスト・山弦の小倉博和さんが作った
「モグラの詩」(「これはただの例え話じゃない」初回プレスのみ)のカバーも入れている。

この歌。
今の日本の情勢をみんな含めると、とても耳の痛い歌のように思う。
私はやめる直前、やめた後このモグラの詩がなぜか離れることがなかった。

どうしてなんだろう。

モグラのように耳をふさいで、目を閉じて、
「地面」の中でじっとしてて
何もないようなふりをするくらいであれば、
まずは地面に出ようと。
そして歩いていこうと。
そこに吹いている風は自分にとっては強い向かい風もしれないけど、
それはいずれ、ステキなことになる。

そういう意味の歌詞なのですが(要約すると・・・間違えてたらすいません小倉さん)

前の職場がまるで「地面の中」で作業しているようなものだった。
情報の最先端、とかっこいいことを言っていても、
自分の好き嫌いで運ぶ物事。
都合のいいとこ悪いところは耳をふさぐし、見なかったことにする。
(それは私の病気についてもそうだったように思う)

結局、私はその「地面の中」から「いらない」といわれて押し出されてきた。
地面の上はまだ何があるかわからなくて、
不安と怒りが織利混じりそうになる私は
地面の中に戻りたい、と思うことだってある。
なんで私が地面の上にでなくちゃいけないんだ、って怒りを覚えることだってあった。

でも。
その地面の上でいろいろ探しながらすごしているうちに、
何処かへ行って何か新しいと事を探したいな、と思えるようになった。
そして、何より地面の上に吹いている風は、
自分が思っている以上に厳しいものでなかった。

「大丈夫、自分の行きたいほうへ、気持ちいい追い風が吹いてくる」

まだまだ整理できてなくて怒りをこみ上げそうになる自分がいるけれど、
「自分に気持ちいい風がやってくる」
そう思える自分がいることに気がついた。

まだまだ休まなければいけないけど。
でも、気持ちいい風と草の香りを感じたら、
追い風が吹いてきたら、どこか、風に乗って、
新しい旅へ出かけよう。



今日はちょっと方向変えてまじめで(照)。